第33話   釣の三要素   平成15年09月10日


天性の釣師は別として、釣に必要なものは「勘」と「運」と「場所」である。

この三つが複雑に絡み合い成り立っている。天性の釣師はこの三要素を生まれながらにして独特の勘として持ち合わせているが、われわれ凡人は経験を積み磨かないと中々出てこない。長年やっていれば三つとまでは行かないが、一つ、二つまでは何とか物に出来るが、三つとも持ち合わせている者はまず少ない。まず、魚が釣れている状態は一つ、二つの要素を物に出来たとから云って良い。第一に運が良かった事、運が働いて釣れる場にめぐり合えた事の二つである。たまたま釣れる場にめぐり合えても当りが取れなければ魚は釣れない。「勘」というか、当りのタイミングの取り方である。「勘」にも色々あり当りを取る「勘」、「場所」を選定する「勘」など様々である。しかし、その「勘」であっても其の日の体調や運によっても左右されやすい。

だから、いつでも釣れるとは限らないのである。目指す魚が釣れない事が多い。たまたま三つの要素が上手く絡み合ったとき大釣り、大魚の捕獲に成功すると云う現象が起きる。ある程度は長年のキャリアを積めば、三要素も向上する事が可能であるが、ただ三つとも何時も揃わせる事は中々出来ない。出来るのは神様と仏様と天性の釣師である。昔の鶴岡に遠くから天候、潮を眺め駄目と思ったら竿を垂れずに帰ったという者が居たという。この者は長年の経験から釣れる釣れないをはっきりと分かるものであるからそれが出来る。釣れない日には決して釣らなければ確率100%に近い釣師となる。日曜釣師の凡人には中々それが出来ないでいる。

今日は釣れる日であると感じ、釣りたいと思った「釣場」に上手く入れ、偶々其処に魚が居た。それが釣師にとって最高の喜びである。処が現実には日曜日にしか釣に行けないとか、社会的に色々な制約の中で釣に行っている訳であるからそんな事は滅多にない。逆に云えば出来ないから偶々釣れれば面白いという事にもなる。それを他人は運が良かったという。運が良かったのでなく自分では気がついてないだけでこの「場所」で釣るという「勘」が働き、其の場所が開いていたという「運」と知らず知らずの内に魚が居る場を選んでいたという事になる。